大分県は別府市を拠点に活動する画家の”かおなしまちす”こと齋藤由依(さいとう ゆい)さんについてです。
”かおなしまちす”名義でテクスチャーアートという作風の絵を描くことでも知られる画家の齋藤由依さんですが、
8月3日からAmazonプライムにて配信開始となる『バチェラー・ジャパン』のシーズン5には”現代美術家”という肩書で出演されますね!
そんな”かおなしまちす”こと齋藤由依さんの、
壮絶すぎる生い立ちについてや、
画家としての年収について調査し、
本文では詳しく解説してますので、気になる方はぜひ最後までチェックしてみてくださいね!
齋藤由依の生い立ちが壮絶!?
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画家として活動されている”かおなしまちす”こと齋藤由依さんですが、
『バチェラー5』の女性メンバーの中では、そのキャラクターやたたずまいから、SNSでも推しの声が多かったので、
生い立ちについても気になって調べてみると、
齋藤由依さんはかなり壮絶な生い立ちだったことが分かりました。
齋藤由依さんの生い立ちをざっくりとまとめてみると、
生まれる前 | 父を事故で亡くし、生まれる時に死にかける |
小学生~中学生 | 絵を描くのは好きだったが、母の美容院を継ぐつもりだった |
高校生~ | 経済的に厳しく、高校と美容学校の通信教育を両立 |
18歳~21歳 | ひょんなことから地元の動物病院で働く |
21歳~25歳 | 美容師になろうと腹をくくる |
25歳~30歳 | 3.11をきっかけに画家を志すことを決意 |
31歳~32歳 | 生業(画家)として成立したのは2019年くらいから |
このようになり、
さらに『番外編』として、齋藤由依さんの初恋や、出会い系にハマったという過去の情報もありましたので、
それぞれの生い立ちについて詳しく見て行きましょう。
父を事故で亡くし、生まれる時は死にかけた!?
大分県は津久見市で生まれ育ったという齋藤由依さんですが、
生まれる前に父親を事故で亡くされているんですね。
当時、齋藤由依さんは妊娠7ヶ月目くらいだったそうですが、
お父さんが石川県の造船所に出稼ぎに行っている時、
作業中、船の下敷きになるという事故でお父さんは28歳で亡くなったそうです。
お母さんは当時21歳だったそうで、ショックのあまり自ら命を絶つことも考えていたんだとか。
また、齋藤由依さんは、生まれた時に呼吸をしてなかったそうで、死にかけたんだそうです。
お母さんがいきみ方を間違えたんだとかで、齋藤由依さんが生まれた時には呼吸がなく、
看護師さんに叩かれまくってなんとか復活されたんだそうです。
こういった過去を齋藤由依さんは、「3度死に損なった」と語られていました。
1度目はお父さんが妊娠前に事故にあっていたらと考えると、
2度目はお母さんが自ら命を絶っていたら、
3度目は生まれて来る時にに息を吹き返さなかったら、とのことですが、
「死に損なった」という言葉の裏側には、
きっとそういった過去から「命の大切さ」改めて実感させられたというニュアンスが込められているということがうかがえます。
小学生の時から母親の美容院を継ぐつもりだった!?
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若くして旦那さんを亡くし、シングルマザーとなった齋藤由依さんのお母さんですが、
なんとか気持ちを持ち直して、美容師といて雇われながら齋藤由依さんを育て、
齋藤由依さんが小学2年生の時に、自宅兼美容院をオープンされたんだとか。
齋藤由依さんは幼少期から絵を描くことが好きで、人見知りで友達を作るのが苦手だったこともあり、
家にこもって絵を描くことが多かったそうですが、
「絵を描いててもお金にならない」と言われてきて、実家の美容院を継ぐものだと思っていたんだとか。
小学生ながらに夢を諦めて、お母さんを支えようという気持ちがあったなんて、とても立派で素敵だなぁと感じる反面、
世の中には子供の頃から抱える夢を、家庭環境や親の考え方などによって、そういった子供がたくさんいると思うと胸が痛みますね。
高校生活と両立して美容師の国家試験を一発合格!?
齋藤由依さんは、経済的にきつかったこともあり、美容師の学校などには通わず、
高校に通いながら通信教育で美容師の勉強をされていたそうです。
「将来のことを見据えて美容師の免許はとってくれ」というお母さんの教えもあり、
高校と両立して美容師の勉強をし、夏休みや冬休みはスクーリングという大変な高校生活を経て、
卒業後に行われた美容師の国家試験には一発合格されたそうです!
美容の専門学校に通われながらも1度ならず2度も落ちる人もいるという美容師の国家試験を、
高校生活との両立で一発合格とは素晴らしいですね。
齋藤由依さんは美容師の勉強にそこまで身入れしてなかったとインタビューで語られていましたが、
齋藤由依さんの美容師としてのセンスはもとより、
やはり小さい時から美容師として働くお母さんの姿を見てきたことも影響しているのかもしれませんね。
高校卒業後は地元の動物病院に就職!?
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母の美容院を継ぐつもりだったという齋藤由依さんですが、
高校卒業後は、ひょんなことから地元の動物病院で働くことになったんだとか。
というのも、美容師の国家試験が高校を卒業した年の秋頃だったそうで、何もできない期間があったそうです。
当時、齋藤由依さんの家では猫を買っていて、猫の通う動物病院で「それまでの間(美容師の国家試験)だけでも働く?」と、声をかけられ、
働く事になったそうですが、
結局、21歳になるまで4年間も働いたそうで、最終的にはピリピリとした動物病院の空気感に耐えられなくなり、精神的に病んだりもして、
退職されたんだとか。
齋藤由依さんが美容院で働きたくなかったのか、はたまた一度働いてしまった動物病院が辞めずらかったのかは分かりませんが、
美容院を継ぐつもりだったということから動物病院に就職と、いきなりの方向転換で、驚きですね!
美容師になろうと腹をくくる
齋藤由依さんは21歳の時に、大分県は別府で美容師として働く知人から声がかかり、
ここでまた「実家を継ごう」と美容師として働く事に腹をくくり、別府に引っ越すんですね。
将来的には実家の美容室を継いで、のんびり暮らして、いつかおばあちゃんになったら絵本でも描こうかなな~んて考えていると、
25歳の時に転機が訪れるんですね。
画家になろう!きっかけは3.11
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実家の美容室を継いで、将来的には絵本でも描こうかなと考えている最中、
2011年の3月11日に起きた『東日本大震災』をきっかけに、「そんな未来はないかもしれない」と考え、
「やりたいことをやろう」と、齋藤由依さんは25歳で画家を志すんですね。
もともと美容院で齋藤由依さんがデザインするフリーペーパーなどの評判が良く、
プロのデザイナーに「こんだけ描けるなら絵の道もアリだと思う」と誉められたことが心に響き、
とりあえず美容院を辞めて、すぐにグループ展覧会に作品を出すも、場所代の3~4万円を捻出するのに必死だったそうで、
生活にも困ったということで、派遣、コールセンター、スナックのバイトを掛け持ちで一気に始めて、
一ヶ月休みがないのは当たり前、絵を描く時間がない、画家としての活動は年に1、2回という生活になってしまい、
気づけば2年間もバイト三昧の生活を続けたそうです。
「30歳でスナックは辞めようと思ってた」という決意や、絵を描く時間を確保するため、
スナックを辞めて、友達がやっていた建物のテナントを借りて、週に3回くらいでおばんざい屋さんをやっていたという齋藤由依さんに、
さらなる転機が訪れます。
衛生管理者の資格も取得し、おばんざい屋さんで働き始めて3ヶ月目くらいに、
そこに出入りしていたという音楽プロデューサーの清川進也さんと仲良くなり、
別府で立ち上げるイベントの、空間の総合プロデューサーをやらないかと、声をかけられたそうです。
町を上げてのイベントが故に、空間総合プロデューサーを受けるならどうしてもバイトを辞めなければいけない、
生活が苦しくなるという葛藤もあったという齋藤由依さんですが、
2ヶ月間無収入を覚悟でその誘いを受けることに。
市のイベントだったためにあまり経費も出ず、段ボールなどを駆使し、たくさんの学生さんたちに力を借りながら、
なんとかかたちにして、成功を収めたという齋藤由依さんですが、
得たものはお金以上の財産だったと過去のインタビューで語られていました。
生業(画家)として成立したのは2019年くらいから
前記したイベントを成功させたこともあり、市や町の人と絡むことが多くなったという齋藤由依さん。
そんな経験から、市や町の人達が、市や町のために一生懸命頑張っている大人たちの姿に心を打たれたそうで、
齋藤由依さん自身も一生懸命頑張った甲斐があり、認められたんだとか。
そこからというもの、「あいつは絵が描けるから」と町の人の信頼を勝ち取り、ちょくとく仕事ももらえ始め、
齋藤由依さんは、「町全体で可愛がってくれた」と、語られていて、
「自分を信じて画家としてやっていくつもりが、町の人達が自分以上に自分を信じてくれて、皆で背中を押してくれる」という、
とても素敵な表現をされていました。
そこからなんとか画家として生計が建てられるようになったという齋藤由依さんですが、
壮絶な生い立ちからも訪れるいくつかの転機をものにし、町の人達の協力などから大分県は別府市に対する想い入れが強く、
現在においても別府市を拠点に画家として発信し、将来的には世界で通用するよう画家になれるように、
日々楽しく奮闘されているのではないでしょうか。
番外編:初めての恋愛は14歳で出会い系にハマった過去も!?
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番外編として齋藤由依さんの恋愛や過去のお話も少々。
齋藤由依さんの初恋は14歳の時で、2人目の方とは7年間に渡って交際されたんだとか!
しかし、「この人と一緒になる」と思っていたその7年間の大恋愛が終わった時にどこか心が壊れてしまったそうで、
22、3歳の時には”出会い系サイト”にハマってしまって、毎日狂ったように男性を探していたんだとか。
今の齋藤由依さんからは想像も付きませんよね!汗
「これはよくない」と気づき始め、自分への罰や、男性が寄ってこないようにという意味合いも込めて、
坊主頭にしてピンク色に染めたんだとか。汗
しかし、ピンク色の坊主頭にしたらすぐに彼氏が出来てしまったそうですが、結局2ヶ月くらいでフラれてしまったそうで、
そこからは男性と交際しても2年以上続いたことはなく、結婚願望はないと語られていて、
今は画家としての成功しか考えられないと、2021年のインタビューで語られていました。
ここまでの齋藤由依さんの生い立ちやエピソードは、
2021年の3月にアップされたYouTubeチャンネル『街録ch~あなたの人生、教えて下さい~』に、
齋藤由依さんが出演された時の動画を参考にさせていただいたのですが、
2023年8月現在、齋藤由依さんは婚活サバイバル恋愛リアリティ番組『バチェラー・ジャパン』のシーズン5に参加されることからも、
現在は結婚願望が芽生えたということもうかがえますね!
齋藤由依(かおなしまちす)の画家としての年収は?
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続いて、”かおなしまちす”こと齋藤由依さんの、画家としての年収についてです。
齋藤由依さんの画家としての年収について調査してみましたが、残念ながら公表はされておらず、
”画家”という職業は、作品が売れれば収入があり、作品が売れなければ収入はゼロ、また、作品の値段も自分で決められるため、
平均年収というものが算出できないので、予想もできません。
しかし、齋藤由依さんは、過去のYouTubeチャンネルのインタビューで、
・2020年3月からはコロナで半年くらい無収入(給付金100万円)で生活
・10月には久々の展覧会で、売り上げが3桁いった
・11月には再びコロナで売り上げが下がる
・12月には東京で展覧会を開催したが、大きい(高い)作品ばかりを持って行ったら30万円くらい赤字になった
・久しぶりに貯金残高が1万円切ったけど、過去には10円って時もあったから平気
などと語られていたことからも、
やはり、画家としての年収は、常にアップダウンが激しく、安定されていないものと思われます。
とはいえ、齋藤由依さんは『バチェラー5』に出演することでさらに人気、知名度ともに上昇することは間違いありませんし、
画家としてのスキルや評価はもちろん、
前述した長文に渡る生い立ちやエピソードなどからうかがえる向上心などが途絶えるはずもないことからも、
今後、バクハツ的に年収が上昇する可能性と常に隣りあわせではないでしょうか。
※齋藤由依さんの、wikiプロフィールや、『バチェラー5』での人気や、バチェラー長谷川さんへの熱い愛などについても気になる方はこちらもチェック↓↓